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イラク レポート <米国編1>


イラク帰還兵の苦悩

放射能の危険知らされずに 劣化ウラン弾の影響で病に

戦友の墓参りに来たメリッサさん。戦友も酒とドラッグで自殺してしまった。国のために闘いそし て、見放された彼らの苦悩は深い=2005年4月、コネティカット州軍人墓地
 四月下旬、コネティカット州に住む、湾岸戦争帰還兵のメリッサさんと待ち合わせしたのはニューヘブン駅だった。
 車でやってきたメリッサさんはシルバーグレイの束髪で、年齢の割には歳を威じさせる。しかも、車を路肩に止めると、つえを突き右足を引きずりながら駅舎の正面玄関まで歩いて来た。足元を見るとイラクで見覚えのあるバックスキンの茶色の米兵が履いている砂漠仕様の靴だった。
 荷物を車に手際よく積み込むと、「昼食を作るから、一緒に食べてください。ご馳走はないけれど、シンプル・イズ・ベストよ」と誘ってくれた。自宅に着くとと、手際よくメキシコ風料理を作ってくれた。
 一九九一年の湾岸戦争で、アメリカ軍とイギリス軍は初めて劣化ウラン弾をイラク南部の砂漠地帯で使った。放射性物質である劣化ウランは体内に入るとがんや白血病などを引き起こす。その被害がイラク全土に広がり、湾岸戦争前までは珍しかったがんや白血病がイラクで急増している。この戦争にかり出された米兵も被曝し、今なお苦しんでいる。
 彼女は現在、慢性的下痢と、全身を襲う耐え難い痛みに苦しんでいる。一日に何度も痛み止めを飲まなければならない。医師の処方箋は、彼女のために痛み止めを飲む量の制限をなくしてくれた。痛みはいつ襲ってくるのか分からない。医師は「原因不明だ」と話す。
 メリッサさんは大学で劇作家になるための勉強をしていた。軍人の父親を持つクラスメートがいて、彼女の父親に勧誘されるまま、何も考えずに軍隊に入った。
 八九年、コネティカット州兵になり、九一年夏にサウジアラビアに派遣され、イラク国境に近い基地に駐屯した。兵たん部隊に配属された彼女は、イラクから引き揚げてきた戦車や装甲兵員輸送車などの車両の掃除や整備をしていた。
 毎日、埃まみれになって車両の下に潜り込んで、こびりついた泥や填を落としていた。同じ仕事をしている仲間はみな慢性的な下痢に悩まされるようになった。しかし、休むわけにはいかなかった。当時は原因が分からなかった。劣化ウランの事は一切知らされていなかったからだ。
 九二年、彼女は車両事故で右足に大けがを負い、帰国して治療を受けた。そのまま原隊に復帰できず、自宅で療養を続けていた。
 九三年頃から、メリッサさんの病気が始まった。疲労感、関節痛、筋肉痛、肩の痛みが彼女を襲った。当初はけがの手術の影響だと言われた。他の医者に診てもらっても「原因不明だ」「慣れない砂漠生活から来るストレスだ」と言われて、まともに診てもらえなかった。
 「自分の体に何が起こっているのか知りたい」。彼女はインターネットから「湾岸戦争症候群」という病名を知る。同じようなイラク帰還兵とも連絡を取り、原因調査に乗り出した。その時に劣化ウランという言葉を初めて知った。軍は一言も劣化ウランのことなど教えてくれなかった。劣化ウランが危険だと誰も知らずに、埃まみれになって作業をしていた。
 九八年ごろ、イラク帰還兵の自殺者が続出した。その時、大切な戦友を失った。そしてついにメリッサさんも孤独と苦痛から逃れるために酒と大量の睡眠薬を服用し、自殺を図る。幸い友人に発見され未遂に終わった。
 「なぜ私が病気になったのか、政府は原因を明らかにしてほしい。そしてこの体を元に戻してほしい。半日ベッドの上に寝ていなければならない生活からはやく抜け出したい。放射能の恐ろしさをアメリカ国民は知らない。私の苦しみは広島、長崎の被爆者の苦しみと同じだ」
 しかし、アメリカ国民は広島、長崎の真実をほとんど知らされていない。
 いま、メリッサさんは州議会議員とともに原因究明と被害補償を求める法案を州議会に提出中である。
 戦友の墓参りの帰り、突然襲つてきた激痛に彼女は顔を歪めて耐えている。その姿はイラクで会った自血病の子どもたちの姿と重なった。
<琉球新報の記事を転載>


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