ホームへ
[イラクレポート 総合Index]

イラク レポート 2003/11〜12 #4


[第1報] [サファアに会ってきました] [サマワで使われた劣化ウラン弾] [サマワ日記1] [サマワ日記2]
[破壊されたディアラ橋] [住民虐殺とクラスター爆弾の村] [バグダッド ストリート チルドレン]

サマワ日記

ハイウエーを北上するタンクローリーのコンボイ
バグダッドからサマワに行く途中のハイウエーを北上するタンクローリーのコンボイ。 石油を満載した車列は。先頭と最後尾に米軍の装甲車が護衛に就いていた。

サマワの子供たち
サマワの子供たちは自衛隊がプレステーションを持ってきてくれることを期待していた。

カフェでインタビュー
カフェでインタビューを始めると男たちがたくさん集まってきた。 早く俺たちは就職したい。みんな失業者だと言っていた。 劣化ウラン弾被害の写真を見せると「3人の男たちが自分の子どもは白血病で亡くなった、奇形児だった、などと口々に訴えてきた。 湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾被害がここにもあることを知らされた。

カフェでインタビュー
サマワの町の中心を流れるユーフラテス川

サマワの町
サマワの町

劣化ウラン弾で破壊されたキャノン砲
劣化ウラン弾で破壊されたキャノン砲が近くに放置されていた。


水牛がゆったりと道を歩いていた。この近くに劣化ウラン弾で破壊されたキャノン砲が落ちていた。

劣化ウラン弾汚染したキャノン砲
畑の中に放置されていた劣化ウラン弾汚染したキャノン砲
 12月2日午後1時過ぎ、サマワの町に入った。
 サマワは南部イラクとバグダッドを結ぶ要衝で、米軍の武装車両が護衛した大型トラックが軍事物資をバグダッドなイラク北部に運ぶコンボイが通過する町だ。 町の中央をユーフラテス川がゆったりと流れている。 人口50万人の町は昔からの部族社会が息づき、14部族に分かれた親戚関係で結びついた社会は非常に安定し、 外部からの影響を極力抑える力を持っているようだ。 部族内ではみなの顔を知っているため、外部の人間が入ってくればすぐわかってしまう。 だから犯罪も少ない、と老人たちは言っていた。

 昼食をとる前にホテルにチェクインすると、電気が来ていた。 バグダッドでは1日のうちで電気が来る時間は3,4時間だった。 電気が無いことになれてしまっていた私は早速携帯電話やパソコンの充電をした。 バグダッド市民がいかに不自由な生活を強いられているか、あらためて実感し、 電気があることのありがたさを身をもって感じた。 町にはインターネットカフェ3軒もあり日本との通信は不自由はない。

 「日本はいつ来るのだ?」ホテルをチェックインして、はじめて町に出た市民の第一声だ。 他の町では日本人か中国人か、韓国人かと国籍を訪ねてくるのに。 人々は非常に友好的で誰一人敵対的な言葉を投げつける人はいない。
 夕方、薄暗いバザールの中を歩いていても皆が声をかけてきて「ここは一番安全な町だから安心していいよ」と言ってくる。 日本はいつ来ると言う意味は自衛隊がいつきてくれるのかと同意語だ。 「自衛隊が来て、もし攻撃を受けることがあれば俺たちが守ってあげる」と言う心優しい市民たち。 彼等は何を期待しているのか?

 町の中心にあるバザールには大きな「みなさんと一緒にすばらしい町を作りましょう。日本のみなさんを歓迎します。」 という横断幕が掲げられている。 誰もが、日本の自衛隊が派遣されることは大きな期待をもっている。

「日本は広島、長崎に原爆が投下されその後、米軍に占領された。 イラクも米軍に占領され、日本人の苦しみを良く理解している。 日本の自衛隊が来てくれるなら電気、水道、学校や病院の建設をして欲しい。 そして雇用を作り出して欲しい。今、失業者は65%だ。これらの事業をやってくれ、仕事が出来れば歓迎する」
「ここはイラクで一番治安の良いところ。軍隊が来る必要はない。もし、危険になれば我々が守ってあげる」
「一番良いのは日本企業やNGOが来てくれて一緒に町づくりをやってくれれば歓迎するよ。我々の仕事もできるし」
「日本の技術はしっかりしているし、期待もしている」 (この町の病院などは80年代に日本企業が建設した。みな日本の技術を信頼している)

 こうした歓迎に何か違和感を感じた。歓迎してくれる人々へのインタビューはみな同じ答えが返ってくるのだから。 そして、市民は自衛隊が来ることしか念頭にない。なぜだ?誰かが仕掛けているのではないか。と疑ってしまう。 この町を自衛隊駐屯の適地と選んだのは誰なのか? 適地として選んだ課程で、自衛隊への異様な期待を持たせた人間がこの町で暗躍したのではないのか?

 町のホテルは日本の主要メディアによって前払い予約されており、値段がつり上がっていた。

 市民のアメリカへの根強い不信感、 サダムに対する憎しみは他の地域より特別なものがある。 それは1991年の湾岸戦争直後に起きたサダム政権最大の危機を招いた暴動が起きた時、 特に南部ではシーア派の人たち人々はサウジアラビアに撤退していたアメリカの救援を要請した。 もし、あのとき、暴動にアメリカが介入していれば、サダム政権は倒れたとおおかたの人々は見ていた。 しかし、米軍は介入せず、暴動は鎮圧され、サダム政権によって暴動参加者は大量に虐殺されたのだった。 この事件を期に、アメリカへの根強い不信感がある。 だから、サダムを倒してくれたという側面では感謝しているものの、本心からアメリカを信用しているわけではない。

 サマワ滞在2日目。午後からユーフラテス川下流、 町の中心部から1キロほど離れた農村部で米軍がヘリからの攻撃で破壊したキャノン砲があるというので放射線測定器を持って出かけた。 チグリス川沿いの道路脇に設置されていたキャノン砲は破壊され、 その後イラク軍によって200メートルほど離れた屠殺場の広場に放置され砲身の付け根や土台の分厚い金属をめくり上げていた。 放射線測定器を近づけると東京の20倍以上の放射線を出し、とても危険な状態だった。 何も知らされていない住民は羊を放牧し、畑では野菜を栽培していた。 米軍は戦後キャノン砲の周りに落ちていた劣化ウラン弾を片づけた、と住人は証言していた。 地表に落ちているのはほんのわずかにすぎない。 多くは地中深く埋まって回収不可能だ。

このサイトの写真・文章の著作権は、森住卓に属します。無断での二次利用を禁じます。
Copyright Takashi Morizumi