ホームへ
[イラクレポート 総合Index]

イラク レポート 2004/2〜4 #4


[シーア派の宗教儀式アシュラ] [サファアに会ってきた] [厚顔無礼な米厚生省役人]
[白血病のアブドゥール君] [血のアシュラ] [血のアシュラ(続報)] [血のアシュラ(続報2)]
[砂漠のマッシュルーム「カマ」] [オムカッスル刑務所] [ムスタファの村、再び]
[TVカメラマンが米軍に拘束] [爆撃されたアル・ナクワ地区] [サマワルポ] [バスラのアリババ市]
[ツワイサの原子炉] [林立するパラボラアンテナ] [サドルシティーで米軍と住民が衝突] [帰国しました]
白血病のアブドゥール君関連を継続取材しています。ご注目ください。

白血病のアブドゥール君

 「お父さんはいつ来てくれるの?お父さんに会いたいよ」と高熱にうなされながら何度もお母さんに訴える白血病のアブドゥール。しかし、彼はいま、お父さんが何処にいるのかを知らされていない。
3月1、6、14日(ニューバグダッド)
白血病で入院中のアブドゥール・ラフマン
白血病で入院中のアブドゥール・ラフマン(4歳 バグダッド、セントラル小児教育病院 3月1日)
白血病で入院中の少女
白血病で入院中の少女(バグダッド、セントラル小児教育病院 3月1日)

アブドゥール君の家族。お父さんがいないのでみなどことなく寂しそうだ。(3月6日 ニューバグダッドの母方の自宅で)

自宅のアブドゥール君。少し微熱があっていつもだるそうだ。(3月14日ニューバグダッド)
アブドゥール君(3月14日 ニューバグダッドの母方の自宅で)

 昨年8月6日に突然の発熱で彼の白血病は始まった。すぐに近くの病院に連れて行くとセントラル小児教育病院を紹介され入院した。
 両親は大切な息子をなんとしても助けたいと親戚や友人からお金を借り家財道具を売り、我が子の治療費を捻出した。
 高額の治療費はをいつまでも払い続けることは出来ず、お父さんのラフマン・バーセルさんは、武器の密売に手を出してしまった。  昨年10月21日、バグダッドの北部の古都サマラで対戦車砲を運んでいる途中米軍の検問に出くわし、武器を持っていることが見つかり逮捕されてしまった。 その後家族への連絡もなく行方不明になってしまった。
家族が必死に捜した結果、バグダッド中央刑務所に2ヶ月間入れられた後、イラク最南端のオムカッスルの刑務所に入れられていることがわかった。 家族は「レジスタンスとは何も関係なかった。息子のためにも早く返して欲しい」と言っていた。
 3日後、セントラル病院を訪ねると、アブドゥール君は退院した後だった。 診察と投薬を受けるとすぐに退院することはよくあることだ。 アグドゥール君の住所を医師から聞き出して訪ねた場所は湾岸戦争の時に誤爆で大量の市民が犠牲になり有名になったアメリヤシェルターのある近くだった。
 住所を頼りに尋ねあてた家の前に、ほこりをかぶった白い乗用車が置いてあった。アブドゥール君のお父さんラフマン・バーセルさんが逮捕されたときに乗っていた車だ。 フロントガラスはバットのような物で叩き割ったように全面にひびが入りっている。 逮捕の時に米軍が壊した、と祖父が言っていた。
 アブドゥール君は居なかった。母親と一緒に母親の実家に住んでいるということだった。 母親の実家はアメリヤ地区から来るまで30分ほどのニューバグダッドにあった。偶然にもサファアの家のすぐ近くだった。
 自宅を訪ねると玄関まで出迎えてくれたのは叔父のアブダラ(34)さん。 その足下にしがみつくように妹のアマーニ(2)と一緒にアブドル君が立っていた。 つい先日苦しそうにベッドの上でぐずっていたのが嘘のようだ。
 クリクリした大きな目をじっと私に向けていた。家の中で妹や従兄弟と元気に歩き回っていた。 先日の入院は治療と投薬のために1日入院していただけだという。
 インタビュー中にに叔父のアブダルさんがアブドゥール君を連れて11日にオムカッスルの刑務所にお父さんに合いに行くという。 ちょうど私もその時期バスラに行ってるので、一緒に連れていってもらうことにした。
日本時間 3/3 1:14着信
3/22 16:31着信を追加

このサイトの写真・文章の著作権は、森住卓に属します。無断での二次利用を禁じます。
Copyright Takashi Morizumi