コソボ レポート 目次へ |
2000年視点展に出品した「民族の嘆き−コソボ1999」が奨励賞を受賞しました。 ここに、その作品を紹介します。昨年、週刊プレイボーイに掲載した記事も併せてご覧下さい。 |
ここはコソボのアルバニア国境から数キロメートルのメイヤ村の虐殺現場。 ここで80人のアルバニア人が殺されていたという。すでに、10日ほど前NATO軍が遺体を片づた跡だった。
他にもあるかも知れないと、案内役の14歳の少年バルス君は地雷を踏まないようにゆっくり安全を確認しながら歩く私に 「ここは地雷がないから安心して歩っていいよ」とどんどん進んでしまう。 多感な年代のバルス君は死者を見ても全く感じないらしい。死が日常化しているからなのか。 もし。これがセルビア人の遺体だったらどういう反応を村人たちが示していたのだろうか。 4体のバラバラにされた遺体はわざと残されたのではないか?我々メディアに見せるためにと思えるほどだ。 「セルビアは悪魔」だとするキャンペーンに、同じ民族の遺棄死体まで利用するアルバニア人。 それほどまでに民族の断絶は決定的なものになってしまったのか。
翌朝プリシティナの北西40キロメートルの町コソボスカ・ミトロビツアに向かった。 途中の村も火の手が上がっている。NATO空爆前後にアルバニア人の村はセルビア軍や警察によって放火され破壊されてしまっていた。 今や60%以上のコソボの家が破壊されたと言われている。 セルビア人アルバニア人両民族の無傷の村はない。
どこからともなく集まってきたアルバニア人たちが無人化したセルビア人の家に入り込み家財道具や衣類、窓枠まで外してどこかに持ち去っていく。 なかにはトラクターまで使って運び出す者もいる。 男たちに混じって女や子どもたちも略奪に加わっている。ひと通り運び出してしまうと男たちが家の中に入っていく。 暫くすると、その家から黒煙が立ち上がり、やがて炎に包まれてしまう。 警備中のフランス軍は彼等の行動を見て見ぬ振りをしている。 むしろこれでは、無人のセルビア人の村でNATO軍が彼等の行動を庇護しているようだ。 主を亡くした犬たちが缶詰のレバーペーストを塗ったフランスパンを警戒中の兵士からもらっていた。 無法地帯と化したコソボからベオグラードに帰ると 「アルバニアから国境を越えてやって来たギャングや、元々ごろつきだったKLAが村に住むアルバニア人をやったのだ」と言うニュースも流れていた。 そして、コソボのプリズレンで泊めてもらったアルバニア人の家でのことを思い出した。
こうして、NATO空爆と欧米メディアによってつくりだされた両民族の亀裂は修復しがたい所まで来てしまった。 |
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