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マーシャル諸島メジット島 レポート 目次へ

ビキニから600キロ離れた島にも死の灰が降った――マーシャル諸島メジット島 (3)


ウイタさんはブラボー水爆実験の時にメジット島で爆発を目撃した。孫は両手足の指の関節が短い。


口蓋裂のウイトン・ジェルトン君

ヤシガニ。島民の重要なタンパク質になるのだが、今はその数がめっきり減ってしまった。


スコールを喜ぶ子ども達


マジュロの病院と定時連絡を無線で取る島でただ一人の保健夫のロベルト・レラングさん
 「この世の終わりだと思いました、恐ろしかった。赤ん坊にお乳を飲ませていた時、西の空から赤や青や黄色、いろいろな色の火の塊が天に昇って行きました。その後雷のような天を引き裂くような大きな音がしました。」メジット島に住むウイタ・アリーさん(78)は1954年3月1日の水爆実験「ブラボー」の事を話してくれた。
アメリカはマーシャル諸島ビキニ環礁とエニウェトク環礁を核実験場にし、1946年から1958年まで74回の核実験を行った。爆発威力は108メガトン、広島に投下された原爆が19年間毎日爆発した計算になる。なかでも水爆「ブラボー」は15メガトン、広島原爆の1000倍のウルトラ爆弾だった。 日本のマグロ漁船第五福竜丸がビキニ実験場から東に160キロの海域で操業中に被曝した。乗組員全員が重度の急性放射線障害にかかり、無線長の久保山愛吉さんは半年後になくなった。広島、長崎につぐ原爆の犠牲者に日本中がパニックに陥った。  アメリカは風下地域の島々に人が住んでいることを知りながら実験を強行し、マーシャル諸島全域に放射能の死の灰を降らせた。さらに死の灰は成層圏まで上昇し、北半球全域を汚染した。  アメリカは汚染範囲をマーシャル諸島北部の4環礁だけとしていた。しかし、実際にはマーシャル全域が汚染されていたのだ。
 ウイタさんは実験の翌日昼頃から「白い粉が降って、ヤシの葉やパンの木が白くなった」と当時の事を話し始めた。何日か後、島民の重要な食糧であるパンの木の実やパンダナスの実(タコノキ)が黒くなって腐ったが、気にせずに食べた。住民の身体にも異常が出始めた。様々なガンやブドウやタコのような赤ちゃんが生まれたという。 1996年米メリーランド州のスティーブン・サイモン博士らはマーシャル諸島共和国の要請でマーシャル諸島全域の残留放射能を調べた(HEALTH PHIYSICS VOL73,JULY 1997)これによると、メジット島のココナッツなどには通常の10倍以上のセシウム137で汚染されていることが判った。カリウムに置き換えられるセシウム137は体内に入ると内臓や筋肉組織に蓄積し、さまざまなガンを引き起こすと言われている。セシウム137の半減期は約30年だ。半減期とは放射性核種の原子数が半分に減る時間を言う。セシウム137はすでに2半減期が過ぎようとしている。ブラボー実験直後の汚染は今では考えられないほどひどいものだったに違いない。 マジュロ病院のコレアー・マサオ医師(1944年生まれ)はメジット島出身だ。ブラボー実験の時10才だった。「実験のあと、アメリカの軍艦がやってきて、兵隊が島の土や椰子の実、タコの実、パンの実などを採って行った。汚染調査をしていたのでしょう」と同医師は言う。 いまも、人々はヤシやパンの実などを食べて微量の放射性物質を体内に取り込んでいることになる。 島の保健夫ロベルト・レラングさんは「私の弟、叔父、叔母は肝臓ガンで亡くなった。特に甲状腺ガンの人が多い」という。さらに子どもたちへの遺伝的影響も心配だと言う。 
 ウイトン・ジェルトンくん(16)は生まれつき口の中に鼻とつながった穴が空いている。ウイトン君の両親はメジット生まれでメジット育ちだ。母ヘルビタさんは1949年にメジット島で生まれた。しかし、小さかったのでブラボーは覚えていないという。 人口400人の島は子ども達が半分以上を占め、とても活気がある。だが、子どもたちや住民の健康は蝕まれ続けている。 アメリカは、八六年に締結されたマーシャル諸島共和国との自由連合協定によって被害補償を一億五〇〇〇万ドル拠出し、補償問題は決着ずみという態度である。しかし、被害の実相が明らかになるにつれ、その被害規模はふくらむ。新たな補償を求めてマーシャル政府とアメリカ政府に要求を始めている。
 メジット島選出の上院議員ヘルケナ・アネニーさん(45)は「アメリカはイラク戦争などにたくさんお金をつぎ込んでいるのに、私たちの補償には応じてくれない。マーシャル諸島共和国の人口は六万二〇〇〇人。ちっぽけなアリが巨象に立ち向かっているようなものだ」と語る。

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