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マーシャル諸島メジット島 レポート 目次へ

妻は子宮ガンで亡くなった――マーシャル諸島メジット島 (4)

ラモスさんは妻の墓の前でじっと動かなかった
 島を案内してくれた、スティーム・ラグモス(59)さんはメジット島の西方100キロメートルのアイルック環礁で生まれた。彼は5回も核実験のキノコ雲を目撃している。特に1954年3月1日の水爆実験ブラボーの時は怖かったという。今でもハッキリ覚えている。閃光が光ってから30分後ぐらいに大きな雷のような大音響が響きそばにいた両親から「家の中に入って布団をかぶって隠れなさい」と言われたことを覚えている。島は白い灰が降り積もった。当時は「死の灰」だとは知らなかったので、汚染されたココナッツのジュースやパンの実を食べていた。18歳の時にアイルック島を出て、クワジェレン島のアメリカ軍基地で掃除夫として働いた。
 1979年にメジット島のジェリーさん(1953年生まれ)と結婚して、1980年からメジット島に住んでいる。子どもは6人生まれた。家族はみな健康のように見えたが、昨年ジェリーさんが子宮ガンでなくなってしまった。医師は核実験のせいだと言った。かけがえのない奥さんを失って「とてもショックだった。悲しくて大きな声で泣きました」「私は健康にとても不安を感じています。肝臓が痛むのですが、これも汚染されたものを食べていたからかもしれません」と言って奥さんの墓の前に座り込んでしばらく動こうとしなかった。

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