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マーシャル諸島メジット島 レポート 目次へ

南国の楽園2――マーシャル諸島メジット島 (2)


シーラのサシミを何もつけずに食べるこども

1才になる女の子の誕生日パーティーに招待された。島で取れた魚やタロイモ、焼いた豚肉、自家製のパンなどたくさんのご馳走がでた。

ヤシの実の殻を燃料にご飯を炊く、ウォルターさんの奥さん。赤ちゃんは近所の子ども達が抱っこして連れて行ってしまった。

夕方5時に仕事が終わると暗くなるまでソフトボールに夢中になっている大人たち

島の集会場の建設現場。国会議員のアネニーさん(白シャツの男の人)もセメントをこねる作業をしていた。

釣り上げたキハダマグロ

浜に寝そべって空を眺めていると宇宙と一体となったような気分にさせられる
 メジット島はパラダイスのような島だ。
 島には車は一台もなく、温暖化ガス排出完全ゼロ。移動手段は徒歩、自転車、リヤカーでゆったりと移動する。その姿を見ていると、日本人は何いつも急いでいるのか、分からなくなる。昨年、ソーラー発電機が備えられ各家庭に電灯がともるようになりました。 男たちは小さなカヌーを操って、鰹やマグロ、シイラを釣り、刺身を食べていた。醤油とわさびが欲しくなる私は日本人なんだなーと妙に実感してしまう。13年前に始めてビキニ水爆実験の被害者であるロンゲラップ島住民が避難しているメジャト島の取材の帰り、トローリングをしながらクワジェレン環礁を横断した。その時に釣れたカツオにロンゲラップ島の村長をしていた故ネルソン・アンジャインさんが醤油にタバスコを混ぜて食べさせてくれた事を思い出した。 野球に興じていた少年はのどが渇けば椰子の実を取ってきてのどの渇きを潤していた。日本の子どもはスポーツドリンクなのだろうが。腹が減ればパンの実や栽培されているタロイモを食べている。 夕方5時に仕事が終わると、島の中心部の広場で男たちはソフトボールやバスケットボールに興じている。夕闇でボールが見えなくなるまで。とても活気のある島だ。
 おっぱいをしゃぶっていた赤ちゃんが、家事が忙しくなった母親の手から近所の子どもに手渡され、また別の大人に抱っこされ、それでも、赤ちゃんの目は抱っこしてくれる大人たちを信じ切っている。子どもたちの見つめる瞳も人間を信頼しきった瞳の輝きだった。子どもはこのコミュニティーの共通の財産。弱いものを排除するのではなく集団が包み込んでしまう。年上の子と小さい子が一緒になった異年齢集団で遊んでいる。その中から社会のルールや人とのつきあい方、自然との関わり方などを学んでいた。かつての日本でも見かけた当たり前の風景がこの島には残っていた。 島を一回り歩いて気づいたことはプラスティック製のゴミがほとんど無いことだ。よく観察しているとゴミという言葉がないような暮らしぶりだ。 燃料には乾燥させたヤシの殻が使われていた。ヤシ殻の内側の繊維をほぐして焚き付けに使い、火がついた後は薪代わりに使われる。燃え始めると火力が強く長持ちする。燃え終わった残り火で、パンの実を焼く。とても合理的だ。 ヤシは生活に欠かせない。ヤシの実からはジュースがとれ、ヤシの芽から出る樹液は甘いシロップで発行させるとオリジナルの島酒になる。熟した実は中から椰子油や石けんの原料になるコプラをとる。これは重要な現金収入となる。  島の南部はヤシのジャングルになっており、島の人々の暮らしを支えている。
 ヤシの木陰は、南国の太陽を遮り、快適な日陰を作ってくれる。昼寝の時にはヤシの葉やタコの木の葉で編んだ寝ゴザを木陰に敷き、人が集まる場所ではヤシの葉をそのまま敷いてゴザの代わりに出来る。ひんやりして気持ちよい。人が集まって食事を振る舞うときもヤシの葉を編んだバスケットにご馳走を入れる。  プラスティックや発泡スチロール製では腐らないが、ヤシの葉はやがて腐って土に戻る。食事をしている側には犬、鶏、豚がいる。彼らは人間の食べ残しを頂けるまでじっと待っている。人間の出した生ゴミの処理役だ。そして彼らが大きくなれば貴重な動物性タンパク源となる。動物と人間の距離が狭まったり重なったり、うまく調和がとれている。 3メートルにみたない小さなカヌーを操り、たった一人で1メートル近くのキハダマグロと何時間も格闘し、釣り上げる島の漁師たち。彼らのとってくる魚は貴重なタンパク源になる。羅針盤もなく星の位置や海流、風向きを読み何千キロも航海した人々の祖先だ。その知恵を今も引き継いでいる。 夜になると天空は賑やかになる。日本ではすっかり見えなくなってしまった。北東の空に北斗七星や天の川が白く濁って見える。天を仰いでいると時の経つのも忘れさせる。島の男達は椰子の木陰で星明かりを頼りに遅くまで語り合っていた。 なんと豊かな精神性をもった人々の暮らしだろうか。日常の忙しさに忙殺されて立ち止まって考えることをしなくなってしまった日本人は、心の豊かさを失ってしまったのではないか。工業製品が溢れ、お金が支配する社会が豊かだと錯覚させられている日本人は何と貧しいのだろう。それに比べこの島は本物の豊かさと平和に満ちていた。  しかし、この島も半世紀前に核実験の死の灰が降ったのである。その影響は人々の健康を蝕んでいた。

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